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2013年6月23日日曜日

梅雨の晴れ間の「高尾の湯 ふろッぴぃ」



 梅雨の晴れ間の日曜日、どこか遠くへ行きたいが、雨に降られると大変だ。地図を見ながら近場で気分転換できそうなルートを考えていると、413号線をまだ走ったことがないことに気づいた。これまで国道20号線は何度行き来したかわからない。正直なところ、もう見飽きていて何も楽しくない。距離的にもほどよいと考え、413号線へ。

 これがなかなかの快走路。ほどよくスピードが出る山間のワインディングロードが目を楽しませてくれる。僕と同じように、梅雨の晴れ間を楽しみたいと考える人が多いらしく、バイク集団と幾度もすれ違った。山奥でバイク乗りと行き交うと、手を振ったり、ピースをしてきたりする人がいるけれど、思いがけず近場の山でピースをされ、咄嗟に返すことが出来ず。なにしろ街中と山の狭間のような距離なのだ。まだ、街中気分が抜けていなかった。
 途中まで青空が覗いていたのが、山に入っていくにしたがい薄暗くなりはじめた。いつ降り出してもおかしくない空模様。まだ昼の2時頃で、引き返すにはちょっと物足りなかったが、無理せず帰りルートを選択した。 
 413号線と20号線を結ぶルートは、どんどん山の奥に降りていくような感覚。途中途中に集落があって、こんなところにも人が住んでるんだな、とあらためて思う。八王子から1時間半ほどの距離だが、東京の光が強すぎるためか、隠れ里めいた雰囲気をいっそう感じる。
 しばらく行くと、視界が開け、相模湖を過ぎる。20号線に合流した途端に車の数も増えはじめたが、まだ早い時間とあって渋滞というほどでもない。ぼんやり走っているうちに高尾に着いていた。コンビニのポプリの裏に行くと、ベンチ前が草むらになっていて、その向こうを列車が過ぎていく。景色を眺めながら一服しようとすると、ベンチには女性が座っていて、見ると缶ビールが置かれていた。やはり、考えることは同じ。なかなかオツな景色にしばし眺めいる。
 せっかくだから、いつものひとっ風呂。すぐ近くに「高尾の湯 ふろッぴィ」なる湯を発見。この行きやすい距離で、これまで一度も訪れていないのは、そのネーミングに惹かれなかったからだろう。だいたい温泉で癒されたいと考えるときは、自然の空気か和の雰囲気を求めているため、こういうどちらにも該当しないネーミングはスルーしてしまうのだ。しかし本日は、あえて行ってみようかという気分。三日連続で知人との飲み会があったため、とにかくデトックスしたかった。サウナさえあればOKである。

  外観はいかにも昭和後期の建造物という感じで、妙に明るいとぼけた雰囲気。建物は大きいのだが、それに比べて駐車場が若干狭く、日曜とあって一台も止めるスペースがない。こういうとき、バイクは気楽である。自転車のわきにひょいと止めればよい。高尾駅と八王子駅からバスが出ているらしく、ノーテンキな黄色いバスが停車していた。
 料金表を見ると、土日1800円とある。この手の施設にしてはやや高めだな……と思ったが、2時間以内だと800円とのこと。東京近郊では手ごろな値段である。受付をすませ、あらためて周囲を見渡すと、やけに賑やか。80年代特有の合成樹脂っぽい豪華さというか、それが時代を経て安っぽさが再確認され、なんだかゆる~い雰囲気。和の趣やなんやがまだ言われる前の感覚である。これはこれでわるくない。意外とこういう気楽さがリラックスさせてくれたりする。
 下駄箱もほとんど空きがなかったから混んでいるだろうと予想はしていたけれど、案の定、湯船は人で埋まっていた。ジェットバスが空いているのを見つけて入ってみたのだが、やはりただの風呂ではもの足りず、すぐに上がってしまった。しばし間を置き露天に行ってみると、どうにか入れそうだったので、すかさず露天入り。露天は狭く、景色もないが、湯は天然温泉らしくとても心地よい。さきほどのただの風呂と比べると、やっぱりそれでも天然温泉なのであった。
 けっこう混んでいるというのに、意外と静かでゆっくりしたムード。あらためて見ると、若い子や子供が友だち同士で来ている姿が多かった。地元の子だからだろうか、風呂でしゃべりまくったりするふうでもなく、わりと静かに温泉に入っているのであまり気にならない。温泉施設はだいたい中高年と老人率が6割ほどを占めていたりするものだけれど、ここはなぜか子どもと10代が6割ほどだった。時間帯にもよるのだろうか? 地元の老人ばかりの温泉はよくあるが、地元の子どもばかりの温泉はあまり記憶にない。
 サウナはそこそこの広さ。しかし、他の風呂に比べそれほど混んでいない。なぜなら子どもはサウナにあまり入ってこないからだ。まだサウナの良さが理解できていないのだ。自分も子供の頃は、サウナの何が気持ちいいのかサッパリ理解出来なかった。ただただ不快に熱いだけの密閉空間のように思っていた。やっぱりサウナは身体の血流が悪くなったり、日頃の不摂生で身体が重々しかったりする年になってから、その良さがわかるもの。健康体で身体が軽い年代では、どっぷり汗を流して身体が軽くなったような爽快感は味わえない。不健康だからこそ味わえる快楽、なのであった。
 サウナと水風呂と休憩を繰り返し、その間、ぼんやりと考えごとをするのが好きである。考えごとというほどでもないが、ただ身体を休めているというこういうなんでもない時間に思い浮かぶことが僕にとってはけっこう重要な気がする。なんだか自分の心の中がよく見えてくるというか。素でものごとを考えられるというか。
 締めに生薬を配合した薬仁湯というのにつかると、こちらもなかなかいい塩梅。なめらかだけど刺激もあって、いかにも効きそうである。ここは温泉というよりは健康ランドといった感じで、風情はあまり期待できないけれど、サービス精神はがんばってる感じ。
 風呂上りに2階に行くと、ど派手な居酒屋のような宴会場があって老人客のカラオケ大会となっていた。
 踊り場に千昌夫のコンサート告知があったけれど、こんなところで歌ってるのか……シブい世界だなぁ。最近あまりテレビで見ないが、千昌夫といえば演歌界の大物である。高尾の健康ランドで千昌夫……。シブい。シブすぎる。千昌夫の人生をつくづく垣間見せられそうだ。 
 あまり馴染みのない世界だが、ある意味、究極のエンターテインメントかもしれない。
 館内は広く、人口芝生のベランダの向こうには離れの個室がいくつかあって、そこはカラオケルームと麻雀ルームとなっていた。数人で訪れて昼からビールでも飲みながら一日中ぐだぐだするには最高の場所かもしれない。他にも炭火焼肉の店やうどんなどの軽食スペースもある。
 なんだか随所に80年代が垣間見られて微笑ましいというか、これはこれで心やすまる雰囲気だった。
 というわけで、梅雨時の重たい身体も少し軽くなり、気分はすっきり。今日は2時間コースだったので、ゆっくりすることはなかったが、今度、酒飲みの友だちでも連れて、一日中ぐだぐだしてみるのもわるくないかもしれない。
 出がけにリュックを背負った若者や山ガールとすれ違った。ちょうと高尾山登山を終えて僕と同じようにひとっ風呂浴びに来たのだろう。地元の家族連れと軽登山者。ちょうどバスの発車時刻だったらしく、彼らがバスに乗り込んでゆく。なるほど、高尾らしい景色だとあらためて実感。


高尾の湯ふろッぴィ
東京都八王子市狭間町1466-1
http://furoppy.co.jp/
 

2013年4月30日火曜日

和モダンな巣鴨の穴場スポット「東京染井温泉SAKURA」



 数年ぶりに東南アジアを一人旅した。バンコクから鉄道で国境の街ノンカーイまで行き、ラオスのヴィエンチャン、バンビエン、ルアパパーンと回り、再び鉄道でバンコクに戻る東南アジアの北部ルートである。
 実は10年前にもラオスを旅したことがある。そのときは1月末の旅行で、昼間は日本の夏のような暑さなのに、夜になると急に寒くなる季節だった。標高が少し高いせいもあるのだろう。東南アジアとはいえ冬季は日本の秋口ほどの気温になるのだ。薄着しか持ってきていなかったことや、ゲストハウスにタオルケットしか用意されていなかったりして、けっこう寒かった記憶がある。ラオスでは寒い季節は「よもぎサウナ」が人気で、かなりありがたかった。まさか東南アジアに行ってサウナの暖に癒されようとは予想外のことであった。
 しかし、今回の旅は4月。日本だとまだ肌寒い季節だが、東南アジアは4月がもっとも暑い季節なのだ。日中はちょっと歩いただけで汗だくになるような酷暑で、一日に二度三度とシャワーをあびる。こうも暑いと「よもぎサウナ」のことなど頭にも浮かばない。思考が吹き飛ぶような東南アジアの暑さは、トリップ感を高めてくれてけっこう好きなのだが、さすがに帰国したときにはほっとした。なにしろ日中40度近い世界から日本の気候に帰ってきたのだ。ようやく頭がさえざえとして思考回路が復活するような気がした。
 ずいぶん長い前置きになってしまったが、つまり、日本に帰ったら真っ先に温泉に行きたかったのだ。タイのパイという所には温泉があるらしいのだが、東南アジアにはほとんど温泉がないようだ。あったとしても暑い地域だから、あまり温泉につかりたいとは思わないだろう。それよりも、海や川の冷たい水の方が気持ちいい。実際、ラオスでは滝つぼで泳いだりして、それはそれで最高に気持ちよかったわけだが、風景を見ながらじっくり温泉につかるような情緒的快楽は日本ならではのもの。海外滞在中に日本食が恋しくなるように、僕は帰国後まっさきに日本の温泉を求めた。
 実は、温泉にハマったのもバックパッカーとして東南アジアを長期旅行した経験が影響している。海外の視点で、あらためて日本的なものの良さを再発見したのだ。それからは海外旅行よりも国内一人旅に面白さを感じるようになり、日本中を旅して周った。日本はどこに行っても温泉があるから、おのずと全国津々浦々の温泉を巡ることになったわけだ。
 東南アジアから帰ってきて、またすぐに旅行に出かけるという感じでもないので、とりあえずは近場の温泉に行ってみることにした。そこで見つけたのが巣鴨の「東京染井温泉SAKURA」である。
 そこそこ都会になってきたとはいえ、ラオスの奥地はまだまだ辺境ムード。しばらくアジアの田舎にいたせいもあって、東京らしさを感じたくもあった。かといって人混みは元々好きではない。巣鴨くらいがちょうどよく思えた。お婆ちゃんの町という、いかにも日本的な風情も感じられて気分は日本観光だ。
 駅から徒歩8分ほど歩いたところに「東京染井温泉SAKURA」はある。ピンサロが並ぶ通りを抜け、途中、巣鴨の北側に広がる染井霊園に寄り道をした。
 昼間の霊園は都会の中の森みたいで清々しい。墓地というと不気味に感じる人もいるかもしれないけれど、日本的景色だと思えば整然としたきれいな風景である。喧騒を離れた静けさにわびさびを感じ、あらためて日本に帰ってきたことを実感。海外を旅すると、こうして見慣れた景色が新鮮に見えることも効能のひとつだと思う。すぐにその効果は薄れてしまうけれど、しばらくは外国人視点で日本旅行の気分が味わえる。駅前のピンク街なんかも、あらためて見るといかにも日本的で、へえ……という感じなのだ。
 ちなみに、この「染井」という地名だが、なんでも染井吉野発祥の地だそうだ。だから温泉もそれにちなんで「SAKURA」と名づけられているのだろう。
 実は、かなり以前に付きあっていた彼女が巣鴨に住んでいた。散歩がてら染井霊園で文豪の墓参りをしたことがあり、こんなところに温泉があるんだな、と思ったことを思い出した。その頃はあまり温泉に興味がなかったから素通りした。公共施設のようなスイミング施設があり、そのそばに温泉の看板が見えたので、プールに併設された保養施設のような温泉だろうと思い、興味を惹かれなかったせいもある。完全に忘れていたその記憶がよみがえり、もしからしたら失敗したかも……と思った。海外から帰ってきて、日本情緒を感じたくて温泉に来たのに、公共プールのような温泉に入るのも味気ない。
 看板の標識にしたがって進むと、温泉はスイミング施設の裏手にあった。入り口を見て怪訝に思う。これは本当に温泉なのだろうか? 公共プールのようだった……という意味ではなく、和モダンな日本食レストランのような外観なのだ。いかにも温泉施設やスパですといった庶民的アピールがまったくなく、前を通りかかっても温泉があることに気づかないくらいのさりげなさである。一瞬、温泉はすでに潰れていて、やっていないのではないかと思ったほどだ。
 この温泉は、落ち着いた大人の温泉をウリにしているらしく、利用料金は1260円と若干高め(それほど高くはないが、安い所と比べて)で、施設はまだ新しく清潔感がある。入り口に日本庭園があり、休憩所も洒落た和モダンのムードだ。受付の説明もちょっと過剰なくらいご丁寧で、テキトームード満載の東南アジア帰りの僕からすれば、「さすが日本」と思った。一人ひとりの客に対して、こんなに丁寧に笑顔で接客してくれる国は他にないだろうと思う。裏を返せば、説明過剰でちょっと辟易とすることもあるのだが……。
 真っ先に露天風呂へ向かった。うれしいことにガラガラだ。都内の温泉は施設がよくても、かえってそれが人気となって大混雑していることがあるから、人が少ないだけでも得をした気分になる。ただし、露天風呂と銘打っているのだが、東京23区内だけあって景色が何も見えないことが残念だった。しかも、他の建物から見えないようにするためか、天井に格子状の枠が張りめぐらされていて、真上を見ないと空すら見えない。都市部のサウナによくある屋上の露天風呂のような感じ。まあ、ひんやりした外気に触れられるだけでも、やっぱり露天の方がいいなと思えるのだけれど。
 湯は加温したものらしく、ちょっと生ぬるい。ずっと入っていられていい面もあるのだが、ほどよくのぼせるくらいの熱さの方が風呂上がりの冷たい空気に触れたときの快感も大きかったりして、なんだか少しもの足りない。地下1800メートルからくみあげた温泉は、東京では珍しくかすかな琥珀色をした透明に近い湯。さらさらしていて心地いいのだが、どこかメリハリのない印象だった。個人的には、自分の身体さえ見えないほど真っ白なシルキーバスの方が面白味があった。求めるもの次第だが、スッキリしたーという感覚よりも、やんわりと癒される感覚の温泉だった。濃厚すぎる都会の日々に疲れときにちょうどいい、ほどよく薄味の温泉である。
 露天風呂はほどほどにしてサウナに向かったところ、これがちょっとした感激だった。先客が一人しかいなかったのである。都内のサウナでは人でぎゅうぎゅう詰めだったりして、人と人とのすき間を見つけて座るのがやっとだったりもするものだけれど、ほとんど貸切状態だ。しかも、かなり広い。「スタジアムサウナ」と銘打っているだけのことはある。人が少ないから下に敷かれたタオルもふんわり乾いていて快適だ。混雑したサウナは人が流した多量の汗でタオルがぐしょぐしょだったりして不快だったりするわけだが、そうでないというだけで満足度アップである。先客が出ていって自分一人になったときには、思わずにんまりした。これだけ広いサウナで貸切になったことは人生初かもしれない。
 しかも、素晴らしいことに水風呂までも広いのだ。もし人で混雑していたとしても、他の人に気兼ねなくザブリと入れるほどの広さがある。こりゃいい。サウナ好きの僕としては、穴場を発見したような気分である。いつものようにサウナ×水風呂セッションを三度繰り返し、外気に触れてほてった身体をさます。日本は温泉とサウナが至るところにあるから、本当に素晴らしい。
 平日の昼間という時間帯もあるのだろうけど、申し訳なくなるくらい空いていた。よくある温泉スパのような庶民的なムードを打ち出していないため、子連れ客などが大挙して押し寄せないためかもしれない。他の温泉施設では休憩所で子供が騒がしくしていて落ち着かなかったりするものだけれど、休憩所にもほんどと人の姿はなかった。遠出せずに、とにかく静かに休みたいときは、かなりいい温泉だと思う。しかし、こうまでひと気がなく、落ち着いた大人のムードが漂っていると、かえって落ち着かないのだから不思議なもの。自分一人しかいないとなると、なんだかそこで仮眠でもとろうという気分にならないのだ。多少は雑然としていた方が、人間ってリラックスできるのかも。
 湯上りに巣鴨の地蔵通り商店街を歩き、そのまま池袋まで歩いた。小一時間ほどのコースだ。東京観光だと思えば、ほどよい距離である。昭和ムード漂う下町からサンシャイン60がそびえる都会的景色に移り変わり、きらびやかな池袋の雑踏へ。この目まぐるしい変化も東京ならではのもの。池袋はラーメン激戦区でもある。帰国してまっさきに食べたかったのがラーメンだ。タイの屋台麺も美味いけど、やっぱり日本のラーメンは最高峰だよな。こだわたったり極めたりするのが大好きな国民性がほんとによく表れている国民食だと思う。温泉とラーメン。日本らしさを満喫した一日だった。
 

東京染井温泉「SAKURA
東京都豊島区駒込5-4-24

2013年3月19日火曜日

春の陽気に誘われ、ほどよく「高井戸美しの湯」



 本日の東京の最高気温は25度。半袖でもいいくらいの陽気に、気分も軽やかになる。実は一昨日、自分のミスで大失態をおかしてしまって、昨日はずいぶん落ち込んだ。今日は天気がよかったおかげで、いくぶん気持ちも回復。何カ月もかかっていた仕事も切り上げることができ、気晴らしの散歩がてら高井戸の美しの湯に向かうことにした。
 神田川沿いを歩くと、僕の家から30分ほどで温泉につく。三鷹台から久我山にかけての道は、桜の季節になると桜のトンネルのようになる。ここしばらく暖かかったため、すでにちらほらと桜が咲きはじめていた。なんて清々しい陽気なんだろう。風景を眺めながら歩くうちに、気がつけば高井戸だ。
 のんびりした自然の遊歩道はここまで。車が途切れることなく行き交う環八と交差し、そこから先は、密集した住宅街となる。
 実は吉祥寺の井の頭公園から神田川を下り、海まで歩いたことがある。5時間ほどのコースだったが、神田川はうねるように流れていて、吉祥寺から永福町方面に歩いたかと思えば、今度は左に逸れて高田馬場に出る。南こうせつが歌った「神田川」のイメージから高田馬場の学生街が思い浮かぶが、実は神田川は井の頭公園から続いていることにあらためて驚かされた。同じ川なのに、上流と下流でまったく川の雰囲気が違うのだ。ついには飯田橋のビル街へと流れ、やがて神田川は道路の下になってほとんど見えなくなった。たまに川が顔を覗かせるが、用水路のように茶色く濁っていて、上流の澄んだ小川と同じ川とは思えない。どうにか湾岸まで辿り着いた頃には、あたりは暗くなっていた。ただひたすら歩くという行為。東京の地形を感じながら、のどかな自然から密集するビル群まで、一挙に東京を観察したような気分になれた面白い体験だった。
 とういわけで、ほどよく歩いて高井戸温泉である。ここへはもう何度訪れたかわからない。二日酔いの次の日や、ちょっとした自分へのご褒美。遠出するほどでもない距離に温泉があることは、本当にありがたい。ことあるごとに僕は高井戸温泉に来るのだ。
 利用したことはないのだけれど、ここにはプールも併設されていて、土日祝は1200円の温泉料金でプールも利用できる。平日は900円の手ごろな値段。さすがに都会の温泉だけあって、土日は混んでいるので、やはり平日がいい。
 湯は東京の定番といっていい濃い茶色で、ほどよく身体に染み込むような湯ざわり。広々とした露天がなかなか気分がよく、空を眺めれば、ここが都会の一角であることを忘れてしまう。ほかには縄文窯風呂やボディジェットがあって、そのときの体調や気分で、入ったり入らなかったり。座り仕事で腰痛が悪化したときは、けっこうボディジェットに助けられたこともある。身体が浮きそうになるくらい強烈な噴射で、自分で身体を揺らすと、ちょうどマッサージしているような具合になるのだ。
 高井戸温泉の特徴は、客層の幅広さだろう。爺さんもいれば、いまどきの若者もいて、外国人も多く訪れる。田舎の温泉に行くと、地元の爺さんしかいなくて、余所者の自分がずいぶん浮いているように感じることがあるが、ここではそんな気分になることはない。本日は、演歌歌手のジェロを思わせる黒人と日本人のハーフらしき若者が友達と連れ立って来ていた。
 たっぷり温泉につかった後は、いつものようにサウナへ。あぐらをかいて即身成仏のような表情で天井を見上げている爺さんもいれば、全身毛むくじゃらの爺さんがいて、サッカーの本田を思わせる金髪に日焼けした若者など、本当にいろんな人がいる。
 じわじわと身体が熱をおび、肌に玉のような汗が浮かび上がる。我慢をして時間が経つと、ふと無心になれるからサウナが好きだ。そして水風呂に入り、しばらく湯冷ましに余韻にひたる。肉体の温度変化に頭が冴えて、時折ふといいアイデアが生まれたり、自分の考えがまとまったりするから、やはり温泉とサウナは日々に疲れたりしているときに、しばしば訪れるのがいい。
 いつものように三度サウナに入り、最後はまた露天で締めくくることにした。隣の露天風呂から聞き慣れない言葉が聴こえ、爺さんが「Are you Chinese?」と声をかけた。
 二人の若者は少し訛りのある日本語で、「ソウデス」と答えた。
 温泉で呑気に国際交流。なかなかいいじゃないかと思っていたら、爺さんが「最近いっぱい中国人の学生が日本に来てるけど、あれがなかなか日本語できなくて使えないね」と中国人からしてみれば、どう答えていいのかわからないようなことを言い出し、たちまち気まずい空気が流れた。単なる偏見の嫌味を聞かされても、苦笑いするしかない。中国人の二人は、目で合図をして露天を出た。そして、僕が入っている露天に移動した。二人は日本の温泉にはしゃいでいるようだった。目を閉じていると、弾むようなイントネーションの中国語が聴こえてくる。下手に言葉が聴き取れると、ときに人の会話を耳障りに感じたりするものだけれど、意味がわからない外国語はあまり耳障りではない。それにしても、不思議な響きの言語だ。
 見上げれば三日月。
 憑きものが落ちたように身体が軽くなり、僕は満足して湯を上がった。

 温泉を出た途端、目の前には延々と車が連なる環八道路というのが、この温泉の独特の個性だ。温泉には車の音は届かないが、外に出れば一瞬で都会の雑踏となる。それが寒々しく感じることもあれば、都会の風を感じながら颯爽と歩きたくなることもある。今日は日が暮れても暖かく、颯爽と歩きたい気分だった。帰りに久我山の中華料理屋に寄ろうと思いついた。肉厚の生姜焼き定食をふと思い出し、軽く一杯やりたくなった。
 しばらく歩いてから気がついた。あまりに身近な温泉すぎて、ブログ用に写真を撮ることを完全に忘れていた。僕にとっては当たり前すぎて、今さら写真を撮ろうなどと思い浮かびもしなかったのだ。
 まあいいや。高井戸温泉にはいつでも来ることができる。


■高井戸美しの湯
東京都杉並区高井戸西2-3-45