ページ

2013年4月30日火曜日

和モダンな巣鴨の穴場スポット「東京染井温泉SAKURA」



 数年ぶりに東南アジアを一人旅した。バンコクから鉄道で国境の街ノンカーイまで行き、ラオスのヴィエンチャン、バンビエン、ルアパパーンと回り、再び鉄道でバンコクに戻る東南アジアの北部ルートである。
 実は10年前にもラオスを旅したことがある。そのときは1月末の旅行で、昼間は日本の夏のような暑さなのに、夜になると急に寒くなる季節だった。標高が少し高いせいもあるのだろう。東南アジアとはいえ冬季は日本の秋口ほどの気温になるのだ。薄着しか持ってきていなかったことや、ゲストハウスにタオルケットしか用意されていなかったりして、けっこう寒かった記憶がある。ラオスでは寒い季節は「よもぎサウナ」が人気で、かなりありがたかった。まさか東南アジアに行ってサウナの暖に癒されようとは予想外のことであった。
 しかし、今回の旅は4月。日本だとまだ肌寒い季節だが、東南アジアは4月がもっとも暑い季節なのだ。日中はちょっと歩いただけで汗だくになるような酷暑で、一日に二度三度とシャワーをあびる。こうも暑いと「よもぎサウナ」のことなど頭にも浮かばない。思考が吹き飛ぶような東南アジアの暑さは、トリップ感を高めてくれてけっこう好きなのだが、さすがに帰国したときにはほっとした。なにしろ日中40度近い世界から日本の気候に帰ってきたのだ。ようやく頭がさえざえとして思考回路が復活するような気がした。
 ずいぶん長い前置きになってしまったが、つまり、日本に帰ったら真っ先に温泉に行きたかったのだ。タイのパイという所には温泉があるらしいのだが、東南アジアにはほとんど温泉がないようだ。あったとしても暑い地域だから、あまり温泉につかりたいとは思わないだろう。それよりも、海や川の冷たい水の方が気持ちいい。実際、ラオスでは滝つぼで泳いだりして、それはそれで最高に気持ちよかったわけだが、風景を見ながらじっくり温泉につかるような情緒的快楽は日本ならではのもの。海外滞在中に日本食が恋しくなるように、僕は帰国後まっさきに日本の温泉を求めた。
 実は、温泉にハマったのもバックパッカーとして東南アジアを長期旅行した経験が影響している。海外の視点で、あらためて日本的なものの良さを再発見したのだ。それからは海外旅行よりも国内一人旅に面白さを感じるようになり、日本中を旅して周った。日本はどこに行っても温泉があるから、おのずと全国津々浦々の温泉を巡ることになったわけだ。
 東南アジアから帰ってきて、またすぐに旅行に出かけるという感じでもないので、とりあえずは近場の温泉に行ってみることにした。そこで見つけたのが巣鴨の「東京染井温泉SAKURA」である。
 そこそこ都会になってきたとはいえ、ラオスの奥地はまだまだ辺境ムード。しばらくアジアの田舎にいたせいもあって、東京らしさを感じたくもあった。かといって人混みは元々好きではない。巣鴨くらいがちょうどよく思えた。お婆ちゃんの町という、いかにも日本的な風情も感じられて気分は日本観光だ。
 駅から徒歩8分ほど歩いたところに「東京染井温泉SAKURA」はある。ピンサロが並ぶ通りを抜け、途中、巣鴨の北側に広がる染井霊園に寄り道をした。
 昼間の霊園は都会の中の森みたいで清々しい。墓地というと不気味に感じる人もいるかもしれないけれど、日本的景色だと思えば整然としたきれいな風景である。喧騒を離れた静けさにわびさびを感じ、あらためて日本に帰ってきたことを実感。海外を旅すると、こうして見慣れた景色が新鮮に見えることも効能のひとつだと思う。すぐにその効果は薄れてしまうけれど、しばらくは外国人視点で日本旅行の気分が味わえる。駅前のピンク街なんかも、あらためて見るといかにも日本的で、へえ……という感じなのだ。
 ちなみに、この「染井」という地名だが、なんでも染井吉野発祥の地だそうだ。だから温泉もそれにちなんで「SAKURA」と名づけられているのだろう。
 実は、かなり以前に付きあっていた彼女が巣鴨に住んでいた。散歩がてら染井霊園で文豪の墓参りをしたことがあり、こんなところに温泉があるんだな、と思ったことを思い出した。その頃はあまり温泉に興味がなかったから素通りした。公共施設のようなスイミング施設があり、そのそばに温泉の看板が見えたので、プールに併設された保養施設のような温泉だろうと思い、興味を惹かれなかったせいもある。完全に忘れていたその記憶がよみがえり、もしからしたら失敗したかも……と思った。海外から帰ってきて、日本情緒を感じたくて温泉に来たのに、公共プールのような温泉に入るのも味気ない。
 看板の標識にしたがって進むと、温泉はスイミング施設の裏手にあった。入り口を見て怪訝に思う。これは本当に温泉なのだろうか? 公共プールのようだった……という意味ではなく、和モダンな日本食レストランのような外観なのだ。いかにも温泉施設やスパですといった庶民的アピールがまったくなく、前を通りかかっても温泉があることに気づかないくらいのさりげなさである。一瞬、温泉はすでに潰れていて、やっていないのではないかと思ったほどだ。
 この温泉は、落ち着いた大人の温泉をウリにしているらしく、利用料金は1260円と若干高め(それほど高くはないが、安い所と比べて)で、施設はまだ新しく清潔感がある。入り口に日本庭園があり、休憩所も洒落た和モダンのムードだ。受付の説明もちょっと過剰なくらいご丁寧で、テキトームード満載の東南アジア帰りの僕からすれば、「さすが日本」と思った。一人ひとりの客に対して、こんなに丁寧に笑顔で接客してくれる国は他にないだろうと思う。裏を返せば、説明過剰でちょっと辟易とすることもあるのだが……。
 真っ先に露天風呂へ向かった。うれしいことにガラガラだ。都内の温泉は施設がよくても、かえってそれが人気となって大混雑していることがあるから、人が少ないだけでも得をした気分になる。ただし、露天風呂と銘打っているのだが、東京23区内だけあって景色が何も見えないことが残念だった。しかも、他の建物から見えないようにするためか、天井に格子状の枠が張りめぐらされていて、真上を見ないと空すら見えない。都市部のサウナによくある屋上の露天風呂のような感じ。まあ、ひんやりした外気に触れられるだけでも、やっぱり露天の方がいいなと思えるのだけれど。
 湯は加温したものらしく、ちょっと生ぬるい。ずっと入っていられていい面もあるのだが、ほどよくのぼせるくらいの熱さの方が風呂上がりの冷たい空気に触れたときの快感も大きかったりして、なんだか少しもの足りない。地下1800メートルからくみあげた温泉は、東京では珍しくかすかな琥珀色をした透明に近い湯。さらさらしていて心地いいのだが、どこかメリハリのない印象だった。個人的には、自分の身体さえ見えないほど真っ白なシルキーバスの方が面白味があった。求めるもの次第だが、スッキリしたーという感覚よりも、やんわりと癒される感覚の温泉だった。濃厚すぎる都会の日々に疲れときにちょうどいい、ほどよく薄味の温泉である。
 露天風呂はほどほどにしてサウナに向かったところ、これがちょっとした感激だった。先客が一人しかいなかったのである。都内のサウナでは人でぎゅうぎゅう詰めだったりして、人と人とのすき間を見つけて座るのがやっとだったりもするものだけれど、ほとんど貸切状態だ。しかも、かなり広い。「スタジアムサウナ」と銘打っているだけのことはある。人が少ないから下に敷かれたタオルもふんわり乾いていて快適だ。混雑したサウナは人が流した多量の汗でタオルがぐしょぐしょだったりして不快だったりするわけだが、そうでないというだけで満足度アップである。先客が出ていって自分一人になったときには、思わずにんまりした。これだけ広いサウナで貸切になったことは人生初かもしれない。
 しかも、素晴らしいことに水風呂までも広いのだ。もし人で混雑していたとしても、他の人に気兼ねなくザブリと入れるほどの広さがある。こりゃいい。サウナ好きの僕としては、穴場を発見したような気分である。いつものようにサウナ×水風呂セッションを三度繰り返し、外気に触れてほてった身体をさます。日本は温泉とサウナが至るところにあるから、本当に素晴らしい。
 平日の昼間という時間帯もあるのだろうけど、申し訳なくなるくらい空いていた。よくある温泉スパのような庶民的なムードを打ち出していないため、子連れ客などが大挙して押し寄せないためかもしれない。他の温泉施設では休憩所で子供が騒がしくしていて落ち着かなかったりするものだけれど、休憩所にもほんどと人の姿はなかった。遠出せずに、とにかく静かに休みたいときは、かなりいい温泉だと思う。しかし、こうまでひと気がなく、落ち着いた大人のムードが漂っていると、かえって落ち着かないのだから不思議なもの。自分一人しかいないとなると、なんだかそこで仮眠でもとろうという気分にならないのだ。多少は雑然としていた方が、人間ってリラックスできるのかも。
 湯上りに巣鴨の地蔵通り商店街を歩き、そのまま池袋まで歩いた。小一時間ほどのコースだ。東京観光だと思えば、ほどよい距離である。昭和ムード漂う下町からサンシャイン60がそびえる都会的景色に移り変わり、きらびやかな池袋の雑踏へ。この目まぐるしい変化も東京ならではのもの。池袋はラーメン激戦区でもある。帰国してまっさきに食べたかったのがラーメンだ。タイの屋台麺も美味いけど、やっぱり日本のラーメンは最高峰だよな。こだわたったり極めたりするのが大好きな国民性がほんとによく表れている国民食だと思う。温泉とラーメン。日本らしさを満喫した一日だった。
 

東京染井温泉「SAKURA
東京都豊島区駒込5-4-24